【伊豆大島の火山・地形】

地層切断面:

大島火山の噴火で放出された火山灰などがたまって形成され,大島の火山活動の歴史が刻まれているといえよう.
地層切断面は,道路建設で山を切り崩したときにあらわれたものであり,およそ700mにもおよび,観光名所となっている. 一層一層異なる時代の火山灰や火山弾で形成されバームクーヘンのような弧を描いて重なり合っっている.また,この地層では過去2万年間に起きた100回ほどの爆発的噴火の火山灰・火山礫(れき)が見られる.神津島など周辺の火山噴火物も層をなしており,鍵層として用いることも可能である.おもに,スコリアとその上の褐色層で1回の噴火の組み合わせとなっていて,単位層とも呼ばれている. 一見すると褶曲構造をなしているが,そうではなく,もとの地形の起伏なりに堆積したためだといわれている.このことは,不整合面の上の地層が,不整合面に沿って堆積していることや凹部の一部を水平に埋めている溶岩流の跡などから確認できる。落書きや風化などにより,数年ごとに数十cmくらいづつ削られている.また,火山博物館にも展示されている.

波浮港周辺:
波浮の港はもともと火口湖だった.「波浮の池」と呼ばれていたが838年の水蒸気爆発と1703年の大地震,大津波で東南の岩壁が崩れ,海に通じた.1790年田村玄長の薬草調査に案内者として来島した上総の人秋広平六は,幕府に願い出て工事の一式引受人として港口の開削に当った.1800年に工事が完成した後はは波浮の港と呼ばれ,沿岸漁業の中心地として,また嵐の避難港としても各地の船が集まり,隆盛をきわめた.また,1927年の中山晋平作曲「波浮の港」は一世を風靡した.さらに,大正時代に建築された「旧港屋旅館」の館内には,あの有名な川端康成の小説「伊豆の踊子」のモデルとなった踊子たちの人形などが展示されている.波浮港周辺は,玄武岩質輝石安山岩の累層で,地質は火山岩と火山灰砂で構成されている.ちなみに,明治時代に建てられた邸宅で,旧甚の丸邸が旧港屋旅館の近くにある。周囲を大谷石の壁で囲まれ,なまこ壁の2階建ての屋敷である.(波浮港展望台付近にある説明板をもとに作成)

割れ目噴火:
伊豆大島では山頂火口以外に外輪山斜面のあちこちに側火山があり,山頂部につながる中心火道を使わずに新しく通路をつくってマグマが進む場合,通路の断面は板状の割れ目となる.この割れ目の一部がそのまま地表に達するものが割れ目噴火といわれ,その時にできるのが火口列という側火山である.割れ目噴火口はC火口とも呼ばれ,火口列もC火口列と呼ばれている.1986年の噴火では,元町集落付近まで溶岩が流出し,島民の避難を余儀なくされた.ちなみに,大島での割れ目噴火は1421年の噴火以来のことであった.1986年の噴火当時,最初は山頂噴火のみであったので,多くの観光客が予想されていた.ところが,その矢先に割れ目噴火が起きたしまったのである.結果的に,カルデラの内側と外側において割れ目噴火はおこった。(割れ目噴火口跡付近にある説明板をもとに作成)

カルデラ内部の溶岩:
三原山の溶岩は,おもに安永溶岩(1777年)・昭和溶岩(1951年)・昭和61年溶岩(1986年)の3種類を見ることが出来る.しかも,この3つの溶岩が一緒に見られるところが山頂までの登山道付近にある.また,1986年の噴火によって埋もれてしまった旧登山道を観察できるところもある.そして,万が一に備えて,ところどころに火山弾よけなどの緊急避難用半月状シェルターが存在している.安永以降の3つの溶岩を比較してみるとよい.巡検資料の最後に大島における溶岩状況図(UYAMA 1998)があるので参考にするとよい.